牛飼いになったエンジニア、文化大革命、知識人への迫害
大学で工学部に進学するも、下放されて牛飼いに
チャンさんは70代、温厚な目が印象的な男性です
現在は中国沿岸部の都市に住んでいます
チャンさんは中国南部の都市郊外で生まれました
2歳になるかならないかのころ、日本軍の流れ弾に当たって父親が死亡、その後母親は都市中心部へ親戚を頼って移り住みました
子供のころは貧しいながらも幸せだったというチャンさん
幸いにも勉強を続けることができ、大学では工学部へ進学してエンジニアになりました
しかし1966年、文化大革命が始まります
それまでも「知識分子」、大学を出ていることでねたまれることがあったというチャンさん
職場で密告され、身に覚えのない反革命の罪を着せられ、農村へ下放されることになりました
チャン 驚きましたよ
大学の工学部を出てエンジニアになったのに、村で牛飼いになれというんです
もちろん、牛の飼い方など知りません
どうすればいいのか途方にくれました
工場で素材生産プラントの設計をしていたチャンさんですが、中部の農村へ追いやられます
大勢の青年たちと同様、慣れない農作業にとまどい、牛は言う事を聞かず、困ったといいます
何よりも、自分の専門と全く関係のない仕事に「分配」され、復帰の見通しが全く立たなかったことが辛かったといいます
下放や迫害は知識人にとどまりませんでした
この日話を聞かせてくれたもう1人の文革経験者、ワンさん、70代
工場の現場でリーダーとして働いていました
ワン 私は職場の友人たちと、趣味のサークルを作っていました
なんてことはない、自転車でピクニックにいったり、本を読んだり、そんな仲の良いグループの遊びです
しかし、これが集会であるとみなされて、ある日捕まってしまいました
いきなり、刑務所というか、留置所のようなところへ入れられたのです
ところがワンさんの場合は、これが幸いしました
ワン その後、何年かして元の職場の同僚に聞いたところでは、政治闘争が激しくなって、職場ではつるし上げ、自己批判大会が激しくなり、自殺したり逃げたりした人が相次いでいたそうです
私は捕まってはいたものの、実は拘束されている間はあまりそのような目にあわなかったのです
あのまま職場にとどまっていたら、危なかったかもしれません
チャンさん、ワンさんたち文化大革命の経験者たちは、数年前までは連絡をとりあって
公園などで集まっては体験を話し合うことをしてきたといいます
(現在はおそらく習政権の締め付けが厳しいので、一時ストップしているでしょう)
実はこの話をするために、買い物をよそおって香港まで来てくれたお2人
チャン 私はもう年寄だし、何も怖くはありません
捕まってもかまいませんよ、でも子供や孫のことを考えると、大陸で自由な発言をするのは難しい
聞いてくれる人がいるなら、いつでも話しに来ますよ!
ワン 文化大革命ほどくだらないものはなかった、共産党の政権が終るよう願っています
こんなことが言えるのも、ここが香港だからですけれど
大陸でも文化大革命の見直しが始まったと聞きましたが、現在は締め付けが再び厳しくなってきてしまいました
体験談を聞ける時間はだんだん残り少なくなってきています